こどもの頃によくかよっていたお店 と、思い出ふかいお店
堀牛乳店 |
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牛乳とパンのほかに駄菓子やおもちゃも売っていたので下の柏屋とともに小学生のたまり場となっていた。この二店にゲームが入荷した時、注意喚起の校内放送があったが出入禁止にはならずホッとしたのを今もおぼえている。
小学校入学の間もない頃、コピーのインベーダーやピンボール、バルーンボンバーなどアップライト・テーブルあわせて四五台の筐体が入荷。料金は大体十円から三十円。金にセコい老夫婦が経営。八十四年ころババアの足の病気が悪化しうらみをもつ子たちは快哉をさけんだが、それが原因で店をしめられてしまい貴重なあそび場をひとつうしなう事になった。 先日故人の弔問にむかう途中に店先をとおったが、あとかたもなくきえていた。(10.5.10)(24.10.14改訂) 友人たちには、堀と下の柏屋に入荷したゲームは全部やったと豪語していたが、実は堀に入ったルパン三世だけはやりのがしていた。(11.10.30) ■ラインナップ■ 第一弾入荷組のインベーダーVことメロディベーダーがやはり真っ先に頭に浮かぶ。そしてクレージーコング・ドンキーコングjr・ポパイ・ポップフレーマー・ガズラー・クレージークライマー・ニューラリーX・十円で白黒モニタだったタンクバタリアン・紫色のモンスターが毒々しいギャラクシアン基板のパックマン・ポパイのパックマン・五十円のブルジョアなハイパーオリンピック・ザ・ビッグプロレスリング・バルーンボンバー・ルパン三世・タイムパイロットなどなど。 |
柏屋商店 |
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文房具のほか駄菓子・雑誌、ビーズやリリアン・チェーリングなどの小物をとりあつかう。通称かしわ屋・ブンボー。
七十九年、堀牛乳店とともにアップライト筐体を三台設置。堀とは対照的に、ひとの良いばあさんが経営。現在も存続している。朝っぱらから行くとゲームの音が近所に迷惑だからとかなんとか理由をつけて電源をいれてくれなかった。電気代はもらってるはずなんだがな。(10.5.10)(24.10.14改訂) うわさによるとどうやら閉店しているようだ。中学を卒業してからというものの店の前をとおる時はいつも休日や深夜だったので気づかなかった。こうなるとなかなか感慨ふかげである。中学に入ってからも時々寄っていたから八年ほどいりびたっていたなじみの店だったのに。(10.10.04) 今年の夏、友人とのまちあわせ場所にいそぐ途次、町内会館でおこなわれている葬式に出くわす。被葬者の姓は柏屋のばあさんとおなじ柏倉とみとめられた。まずは、ここのばあさんだったのではないかと思う。小学生の六年間、ほぼ毎日顔を合わせていた人の最期をこういうか形でしるのはさびしいね。(11.10.30) 今は当然店はしめられてガレージは下りたきり。二色のしま模様のひさしが崩れそうになっているので、その下には赤いコーンがすえられ「危険」と注意書きされている。そこはかつて僕の居場所で、アップライトの筐体にむかってプレイし、あるいは人のプレイをのぞいていた場所だ。今はそこに立つ事もゆるされないと言う。店舗自体は残っているだけにつらい仕打ちに思える。 店内への入口をはさんでビデオゲームのならびとは反対側に二台のコインゲームがあった。硬貨その物を玉にして飛ばすパチンコで、フィールドの両端には「樋」がならび、十円玉を入れると最下段にその硬貨が出てくる。それを各樋の脇にそなえられたフリッパーではじいて左右に行ったり来たりとばしながら上へ上へと運び、最上段のゴールまで到達できたら景品がもらえるという仕組の物。フリッパーの力加減をあやまると落し穴にのみこまれてミスとなる。景品はなんの価値もないメダルか、いつの物とも知れないシケったガム一枚のどちらかで、どうしようもなくヒマな時以外は手を出さない日陰者のアナログマシンだった。十円と言えども貴重な軍資金、無駄つかいはゆるされない。(17.09.05)(18.04.03改訂) ■ラインナップ■ 特に思い出ぶかいのは忍者くん魔城の冒険とルージュアン。阿修羅の章・ギャラガ・マッピー・ディグダグ2・タイムパイロット・ポンポコ・ジャンプバグ・影の伝説・セガMK2ユーザーが瞠目したスターフォース・サイドアームズ・ソンソン・エグゼドエグゼス・サーカスチャーリー・ロックンロープ・イーアルカンフー・プーヤン・地獄めぐり・セガのキャラがばかでかいプロレス・出世大相撲・最下段のでっぱりにひっかかるニューパックマン・戦場の狼・くにお君・ダブルドラゴン・黄金の城・グロブダー・バトルズ・五十円のドラゴンバスターなどなど。悪魔城ドラキュラ・グラディウスU・ストリートファイターUも見かけた。年下の知人によるとぷよぷよもあったらしいので'92年までは存続していた事になる。あと、FCのディスクのプロレスなんかもあった。 |
ゲームセンター並木 |
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ゲームセンター黎明のみぎりより現在も連綿とその命脈をたもっている老舗中の老舗。さすがに上の駄菓子屋とは一線を画し入荷するのは本物ばかり。一プレイ五十円というのも格調の高さを感じた。台数は五十ほどをそなえ、小中学生の僕がもっとも足をはこんだお店。ふだつきのワル高校が近所にあって、うすぐらい店内でつねに不良におびえながらプレイせねばならない、まさに八十年代のゲームセンターである。
僕は十年来の客で現在おそらく唯一の常連だろう。あれほどいたしりあい達も今ではすっかり見かけなくなってしまった。それでも店主と目される御老人とはじめてことばをかわしたのはつい先日のこと。最近は店に入ってもあまりゲームをやらなくなったのでそんな余裕もできたが、それまでは脇目もふらずにゲームにむさぼりついていたのだ。それほど夢のつまっていた店がこの並木だった。 便所のきたなさと見ると頭がわるくなる落書きの低俗っぷりには今となっては文化的価値を見いだせるが、現在はきもち改装し、こぎれいになってしまったのがくやまれる。(10.5.10) インベーダー時代からつづいているこのお店の奥にはヘルメットをかぶった小僧が「オノレ陰屁太」と小銃でエイリアン(?)にたちむかう、それはかっこいい絵がかざってあったのだが、なんとこたびの改装ではずしてしまった。上に店主と話をしたと言ったのは実はその絵の所在に関してで、たづねてみると「もう捨てた」との事。もうちょっとはやく聞いていれば手にいれることができたかもしれず非常にくやまれる。しかしぬけめのない僕はこの日の来ることを予感しすでに写真におさめていた。スキャナをかったら落書だらけの便所の写真と一緒にのせるつもりなので期待してお待ちください。(10.10.30) 改装は前述のいさましい絵のパネルを撤去し、あちこちに貼られていたカイロスの館やフェアリーランドストーリーのポスターをひっぺがして壁を白く塗装し、照明をひくくして店内を明るくしただけのもので、便所にまではおよんでいない事が判明。JR衣笠駅から徒歩五分。近頃のゲームセンター、いやさアミューズメント施設に居心地のわるさを感じる方・落書マニアの方は是非おたちよりください。(11.3.25)(18.04.03・24.10.14改訂) と思いきや、やはり時たたずして便所の落書もぬりつぶされてしまった。残念。ここの便所は色んな意味でこわかった。まず第一にくらい。僕は幽霊その他の超自然を信じるので、長い通路の行きどまりにあるこの便所に入るのが本当にいやだった。霊って行きどまりに集まるから。小便をするのもいやなのに大便の場合は最悪。正面にある真っ暗な小窓におそるおそる目をむけては、何も出てくれるなよと念じつつ用を足しているその時間はまるで生きた心地がしなかった。次にこわいのは便器の動作に対する不信。一応水洗式なのだが、海外のコメディ映画に出てくるような上から垂れたチェーンを引く旧式で、本当に水が出るのかつねに不安だった。みっつめにこわいのはやっぱり不良の存在。こんなせまい袋小路で出くわしたら、はぐれメタルでも逃げおおせる事は不可能。さいわい一度もそんな情況にはおちいらなかったが入口にまでただよう悪臭が不良をしてたむろせしめなかったのだろうか。一番の恐怖(?)は不良もしっぽを巻くその悪臭かもしれない。(17.09.05)(24.10.14改訂) 前身は映画館で、そう思って見てみると天井の高さやつくりにも納得できる。以前は入ってすぐの所にカウンターがあったのもその名残なのだろう。意外な事に正月やヴァレンタインデイにはこのカウンターでアメやらチョコがふるまわれた。アイスを売っていた事もあったが、あまりに万引がひどいのでやめてしまったのだと思う。基本的に店番はパートのおばちゃんだが、いっときだけ大学生くらいの男子アルバイトをやとっていた事もあった。 その並木もついに閉店。三十有余年のながい歴史に幕をとじた。最後の日には足をはこび、店番のおばさんに店内の撮影許可を請うてみたのだけれどけんもほろろの受け答え。いや、俺は三十年来の客なんだがなあ、そこら辺の一見とはワケがちがうんだがなあ、とノドまで出かかったが、すんなりあきらめた。ここ十年はほとんどお金をおとしていなかったのだから今更常連ぶるのもムシがよすぎるというもの。せめて奧の壁にかかっていたぼんぼん時計と、いかにも燃費のわるそうな年代物の巨大な冷房機だけでも写真におさめておきたかったが。何十年たってもかわらなかったのはこの二つだけだった。 そんなわけで特に何をするでもなく店内をぶらぶらと見てあるき、最後にビートマニアをクリアしてわかれをつげた。さようなら並木。さようならさようなら。(24.10.14) 店主の似顔絵いりの看板。「この下」 かつて店内にかざってあったパネル「オノレ陰屁太」 男子トイレ内。天井までにもおよぶ落書。左下になにかが写りこんだ。こわい ■ラインナップ■ タイトー系(販売もふくめて)が多い。ロッククライマー・ちゃっくんぽっぷ・フェアリーランドストーリー・レインボーアイランド・バブルボブル・女三四郎・黄金の城・カダッシュ・ルナーク・フリップル・キャメルトライ・行け行け山口くん・チャンピオンレスラー・ウィズ・ビッグイベントゴルフ・飛龍の拳・Vボール・レイダース5・ワンダープラネット・スクランブルフォーメーション・プリルラ(2P側でしかできなかったような?)・エクスターミネーション・ワイバーンF-0・エンパイアシティ・UAG・フルスロットル・ラスタンサーガ・ワードナの森・巧里金団・達人・ゆうゆのクイズ・ハレーズコメット・タイムギャルなどにくわえ、ほかで見た事がないスーパーデッドヒートUの巨大な筐体が一時期店の真ん中にでーんとかまえていた。トップランディングが入った時はめづらしくタイムギャルがスチュワーデスに扮した立看板がそえられていたが、しばらくすると無残にもゴミ置場にすておかれていた。ダライアスもあったような。 ほかはTX-1・バルガス・怒・怒号層圏・ゲバラ・バトルフィールド・脱獄・大魔界村・グラディウス・V・アテナ・サイコソルジャー・ASO・バミューダトライアングル・ポールポジション・ワールドスタジアム・クラックス・妖怪道中記・球界道中記・火激・キックアウト・くにお君・ドッジボール部・ダブルドラゴン・ビッグプロレスリング・エキサイティングアワー・ドラゴンバスター・ツインビー・イーアルカンフー(この三つは百円二プレイ)・キャプテンシルバー・恋のホットロック・ダッシュ野郎・1943・R-TYPE・最後の忍道・西遊降魔禄・ウィロー・Drキック・カイロスの館・スーパーパンチアウト・カルノフ・ラッシュ&クラッシュ・ゼビウス・コンバットスクール・カベールシリーズのどれか・TMNT・アウトラン・花あわせ・麻雀シスターズ・リアル麻雀シリーズなどなど。格闘ゲームとネオジオははぶくがサムライスピリッツだけは思い出ふかい。セガのゲームはすくなく、ワンダーボーイ・アウトラン・忍・コラムスなど。そのくせテスト基板のインベーダーとヘッドオンをなんと金をとって稼働させていた事がある。システム16の野球ゲームもあったがたしか百円だった。ピンボールも入口と奥に多い時は七〜八台ほど置いていた。 ■iriさんの並木■ 掲示板でのお話を引用させてもらいました 衣笠のゲーセンといったらここですね、80年代はよくここで遊んでいました。 タイトーのゲームが多かったですが、このメーカーって下請けの会社が多くゲームの出来の差が激しかったです。 最後に行ったのは'90ぐらいで、グラディウスVとダライアス2をよくやりました。 昭和の店がまた一つ消えるのは残念です。 この頃の娯楽といったら、テレビゲームをする(金のある場合)、友達と遊ぶ(その頃はファミコンがなかったので電子ゲームで遊ぶ)、平作あたりにザリガニを取りに行く、ぐらいしかありませんでした。 小学生の頃、土曜の授業が終わると自転車で猛ダッシュで並木へ遊びに行きました。 ここで一番印象に残っているゲームは、Mr.Doでした。 ディグダグのコピーゲームといわれることもありますが、こっち方がよかったです。 このゲームは並木ではじめて見たのですが、大学生ぐらいのカップルが連コインしていて、台を空けてくれなかったのを覚えています。 |
ゲームコーナーかねしろ |
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最盛期は二十台前後を設置。となりにかまえる金城苑という焼肉屋が併業。
並木に置いていないゲームのフォロオ役として重宝した。クレイジークライマーやペンゴ、ツタンカームなどが特に思い出ふかい。 八十六年すぎ、ファミコンブームのあおりでアーケード冬の時代に突入すると、次第にメダルゲームにおされ、ビデオゲームはついに数機を残すのみとなってしまった。それでもテーカンワールドカップや十円のボスコニアンのためにかよったのが、やがて不定期な休業があいつぐようになって、なしくずしに閉店する。今でも窓ガラスにはニセモノのインベーダーステッカーがはってありかつてのなごりがうかがえる。 現在その二度とひらかれる事のないガレージには不法な駐輪者に対して「とめるな!!止めたらこわす!!」の最後通牒が赤ペンキでしるされている。 先日そのガレージがあいているのを見た。 若いのが外の自販機に缶をつめていたのだが、まっくらな屋内にはジュース類のダンボールが見えるだけで筐体があったかどうかはわからなかった。(10.5.10) それにしても思い出すとなつかしい。店のむかいには生協があって、そっちで親が買物をしている間、僕はかねしろのドアにはりつきガラスごしに店内をじっとのぞいていた物だった。ごくたまにこづかいをもらえてクレイジークライマーやペンゴをやったりもしたけれど、大半は入口にあったツタンカームやボーダーラインのデモを十分ほどながめるだけだった。延々とくりかえされるデモを見ているだけでもなんとなく満ち足りた気分でいられた。どんな形でもとにかくゲームに接していたかったんだと思う。(10.11.11) その店舗もついにとりこわされた。なんのかかわりのない作業員がなんのためらいもなく重機をあやつり淡々と壁をくずしていくのを目の当たりにした時は身をさかれそうな思いがした。その時すでに閉店から十年以上はたっており愛着もうすれていたと思っていたがとんでもない。これほどまで自分のこころとこの店が密接につながっていたとはその時まで気づかなかった。 がれきの山と化した店跡には、当時の僕が何度ものぼりおりした入口の階段だけが、鳥にくわれた虫の足のようにわづかに残り、ショベルで掘り返された床板にうもれたドアの「とって」がころがっていた。しゃれたテレホンボックスのような赤い枠の扉についていた、ヒスイのように白くにごった円柱のとって。これも店に入った回数だけ握った物だ。床の模様は十何年ぶりに見てはっきりと思い出した。紫地で派手な感じの模様がかかれた、昔のティスコの壁紙のような趣味の悪いデザイン。ドアのとっては持ち帰り、床の壁も深夜にとりに来てみたがもはや残っていなかった。何がさびしいって、あれだけ常連のいた店なのに最期をみとったのが僕だけだった事。今は僕の手にあるドアのとってを、はたしてかねしろの物とわかる人間がいるのかどうか。共有していたはずの思い出はここに完全に孤立した(17.09.05)(18.04.03改訂) 窓ガラスのステッカー 本店?の焼肉屋「金城園」 かねしろ、土にかえる ■ラインナップ■ ツタンカーム・ボーダーライン・ペンゴ(ペンタかも)・クレージークライマー・ごんべえ・シンドバッドミステリー・ヘビーメタル・テーカンワールドカップ・ロボレス2001・忍者プリンセス・フロッガー・十円のボスコニアン・ゴースツンゴブリンズ(海外版魔界村)などなど ■iriさんのかねしろ■ 掲示板でのお話を引用させてもらいました かねしろ、並木はかなり前からありました。 かねしろに初めて行ったときには、「ギャラクシーウォーズ」、「ムーンクレスタ」があったのを覚えています。 並木より先に「パックマン」が入荷して珍しく人だかりができていました。 また、「モンスターバッシュ」、「ツタンカーム」が同時期に入荷していたはずです。 小学生のころ友人とムーンパトロールをしていたら、突然フリーズ! おじさんを呼んでクレジットを入れ直してもらいましたが、「何かしたんじゃないの〜」とかいわれた事がありました。 呼びづらい感じがありますが、対応はちゃんとしてくれましたね。 それと、ここの店は焼肉屋だけあって独特のにおいがしました。 小学生の頃、まずは並木で新作の確認し遊んだ後に、 かねしろに行くパターンが多かったです。 ここは台の入れ替えは頻繁になかったのですが、 ある日、そのパターンでかねしろへいくと、何やら見慣れない新作が・・・ モンスターバッシュとツタンカームでした。 ピラミッドの中を探索、もう一つは屋敷の中でモンスターと戦うという当時のゲームにしては、 独特の雰囲気を持つ神秘的なゲームでした。 即プレイ開始したのですが、並木で手持ちの金を使った後でしたので、 すぐに資金がなくなり、くやしい思いをしながら帰る羽目になりました。 その後は、かねしろでも新作確認するようにしました。 落ち着いた雰囲気でできる良い店でした。 |
ゲームボーイ |
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八十三年頃、つぶれたパチンコ店からうまれた。
本格的にかよいはじめたのは八十五年あたりだが以後の利用頻度は並木をうわまわった。 新製品、特にタイトー製品に比重をかける並木にくらべ、ここは実にヴァラエティにとむ顔ぶれだった。 八十七年当時にクラッシュローラーやN-SUB、QIXなどが現役で稼働していたのだ。 僕としては八十六七年はどうも不作と感じていたのでしょっちゅうここに来ては古いゲームをのんびりたのしんだ。 ここのお店のもうひとつ良い所は店番をしていた老人の存在である。丁寧な応対や思いやりのあることば、不正をはたらく客をしかりつける毅然とした態度などは、上述のせこい駄菓子屋や客を鬱陶しそうな目で見る並木のパートづれには逆立ちしてもマネできないものだった。並木なんかは不良どものはきちらす副流煙で店内がもやがかっているのに、ここの老人は未成年の喫煙を絶対にゆるさなかったもんね。中学生だったぼくが十八時すぎに入っていったら注意しておいだしてくれたし。こんな誠意のある店番、なかなかいないでしょう。 その老人はある時をさかいに姿を消し、カウンターにはみしらぬ初老の男性がすわるようになった。不思議に思い、用のない時もちょくちょく店内をのぞいて確かめていたが、いついってもいない。そうしている内に一ヶ月ほどすぎ、店はとじられてしまった。きっと体調をくずされたのか、なくなられたのだろう。 閉店後、絶対にありえないとしりつつも、こころのどこかで新装開店を信じ、店の前を何度もとおってみた。それは最愛の人のなきがらを万一の蘇生をねがってみまもる心境であったが結局遺体はよみがえる事なく僕の目の前で土にかえっていった。壁紙だけが名残をとどめる、ものけのからになった店舗をのぞきこむと、数々のゲームの思い出と一緒にあの老人のおもかげもうかんで来た。現在は駐車場になっている。 このお店は正面のひろい入口のほかにとても便利な裏口があり、僕はおもにこちらを利用していた。 その日、友人の鈴木君と通用口から出ると、まちかまえていたのは三人の不良。 よいごしのゼニはもたぬ僕は残金十円で不良どもにもあきれられ被害はなかったのだが、 不幸なことに鈴木君はファミコンのカセットを売ってえた三千円すべてをぶんどられた。 かえり道、僕は半ベソの鈴木君をなぐさめつづけたのは言うまでもないが、あの時なぜすぐにあの老人にしらせなかったのかと、今でも後悔している。鈴木君よすまぬ。(10.10.30) 裏口から入ろうとすると隣家につながれていた白い犬が人なつこそうによってくるのだけれど、この犬が近くによっただけでもひどいニオイがして頭をなでるのもためらわれた。(24.10.16) ■ラインナップ■ セガ系が多い。マーブルマッドネス・ロードブラスター・ガンスモーク・ぺったんぴゅー・フラッシュギャル・海外版のロボレス・シンドバッドミステリー・ピットフォール・アッポー・クラッシュローラー・カルテット・N-SUB・クイックス・メトロクロス・源平討魔伝・ジャンピューター・フィールドコンバット・アーガス・サンダーブレード・ピタゴラスの謎・ギガスmk2・ソニックブーム・SDI・エイリアンシンドローム・リバーパトロール・VS筐体・空手道・テディボーイブルース・アウトラン・陸海空最前線・ファイナライザー・役満クラブなどなど。晩年には多分時間制限ありのファミコンゲームもあった。ピンボールも結構あった。 ■iriさんのゲームボーイ■ 掲示板でのお話を引用させてもらいました そのおじさんと出会ったのは小学校3,4年の頃に、同級生に連れられて行った、富士見町にあるゲーセン「ゴキブリ」でした。 (入り口に地球を侵略しようとしている、ゴキブリが書かれたポスターが貼ってあった) 店内はとても清潔で、とてもよい雰囲気の店でした。 当時、そこではゲームの修理もしており、修理後のゲームをただで遊ばせてもらえました。 常連になってから3年後、83年の夏に店は突然閉店し、おじさんと会うことも無くなりました。 数年後、衣笠のゲームボーイに遊びに行くと、あのおじさんがいるではありませんか。 学生だった頃の懐かしい思い出です。 MAZさんの言われるとおり、この御老人はとても誠実な人でした。 ある日、ここで遊んでいたところ、小学生の女の子がゲームをやりにきたのですが、 おじさんはその子に対して、ここで遊んではいけないと、やさしく諭していたことがありました。 (当時は女の子が一人でゲームセンタに入ることを良しとしない風潮がありました。) 「大富豪」、「レディバグ」、「ポパイ」、「スーパーロコモーティブ」、 「シンドバッドミステリー」、「チャンピオンベースボール」、「スタージャッカー」 「ストラテジーX」、「スカイランサー」、「ブループリント」、「将棋(タイトル不明)」などです、他にもありますが思い出せないです。 「大富豪」と「スーパーロコモーティブ」は特に好きなゲームでした。 「大富豪」は残念なことにネットでも画像が見かけることがありませんね。 ゲーム開始時に「展覧会の絵 プロムナード」が流れるのが特徴で、麻雀ゲームのような コンパネを使用していました。 内容はトランプの大富豪そのままです。 スーパーロコモティブはここでしか見たことなく、よく遊んでいました。 エネルギーを使って無敵になる変わったゲームでした。 当時(83')の店番はパートのおばさんでした。 50円が飲まれたときに伝えても、だるまのごとく無反応でした。 (不正なことをする輩が多かったのかもしれませんが。) 衣笠ではないのですが、思い出したエピソードを幾つか。 トランキライザーガンという猛獣を狩るゲームがありました。 遊ぼうとすると他の人が遊んでいたので、クレジットを入れようとすると、 おじさん(あの御老人のことです。)に止められました。 ここで教えてもらったのですが、このゲームはクレジットができないゲームだそうです。 以前にも書きましたが、ここではゲームの修理もしてました。 店の中はゲームで遊ぶところと、カウンターの内側の部屋の2つに分かれていました。 ある日いつものように、ゲームで遊んでいるとおじさんが呼んでいるではありませんか。 おじさんのところへ行くとカウンターの内側の部屋に案内され、修理上がりのプロテニス(データイースト)を遊ばせてくれました。 その部屋は当然、客の入ることができない場所でしたので、貴重な体験でした。 このことがあってから、この店(と御老人)に対して親近感を感じました。 それだけに閉店のときはショックでした。 |
Aボウル |
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名前からも察せられるとおりのボーリング場。町中を威圧しつくすかのようにそびえる屋上の巨大ピンとカラフルな横縞模様はこの一帯のシンボルでランドマークと言っていい。プラザAというビルのテナントの一つなのだが、みんなこのビル自体をAボウルと呼んでいた。「Aボウルのバッティングセンター」とか、「Aボウルのミスタードーナッツ」などのように。
三階がゲームコーナーとなっており、スペースはかなりあったが、ゆったりとした配置で台数は五十をこえなかったと思う。さすがボーリング客や家族づれをターゲットにしているだけあって店内は綺麗であかるく、暗黒空間の並木とは対照的な雰囲気。反面、ながれっぱなしの有線がうるさくて、普段ゲームセンターと縁のないような若者が多いところにもちょっと居心地のわるさを感じた。何よりもオール百円というのが最大のネックで、どうしてもやりたい物がないかぎり足をはこぶ事はまれだった。それはスペースハリアーであったりドリフトアウトであったり沙羅曼蛇であったりスーパーパンチアウトであったり…。 しかしこのビルの真の価値は二階(四階だったかも)の五十円コーナーにあった。店内は八十二〜五年のゲームであふれ人影もまばら。店番は老人一人がいるのみ。窓からさしこむ斜陽や壁のむこうから漏れきこえてくるボーリング場のにぎわいが世俗から隔離された別天地の雰囲気を演出しており一人でおちついてゲームをたのしむには最適の環境であった。三階のハングオンやスペースハリアーなどと言った最新機をしりめにバンクパニックや出世大相撲に興ずる姿は当時も今もかわりありませんな。 現在では五十円コーナーはとりつぶされ、三階はILINXの手によってさらにわかむけにリニュウアルされている。新しいゲームが主体なのでそれほど深い思い入れはないが、音楽ゲームがさかんだった頃にはよく通った。一階のフロアにまでとどいていたDDRのデモ曲を耳にしながら、はやる気持ちをおさえきれずに足早に階段をのぼったものだ。ソニックブラストマンもよくやった。そう言えば一時期、昔のゲームを一台だけあつかっていた事があって、なつかしいクレージークライマーなんかが置いてあった。その台にペンゴが入っていた時、鼻ヒゲを生やした四五十くらいのオジサンがいついっても占拠していたのだが、この人が相当な腕前で、スノービーをすりぬけるようにかわし、効率よくダイヤモンドブロックをならべていくその手際の良さを後ろからながめて舌をまきながら、このオッサンは何者だろう?と不思議でならなかった。 おおみそかには夜通し営業していた。(10.10.30)(24.10.08改訂) 平成の十八年、九月三十日をもって全テナント閉店。ビルもこわされ、跡地にはマンションが立った。実はこの日、つきあいはじめたばかりの女の子とはじめてのデートを約束していた。ところが直前になってAボウルがなくなる事を知ったため、たのんで一日ずらしてもらったのだった(だから三十日は土曜日だったはず)。 ゲームセンターにはもはや遊ぶゲームもないので早々に切上げ、ボーリング場、つまり「Aボウル」のほうをじっくりと見て回る事にした。レーンには最期までボーリングをたのしむなじみの客、フロアには僕同様にわかれを告げに来た人だかり。壁には閉店をおしむことばが一面に書きのこされていた。 僕はゲームとバッティングセンターが目的で遊びに来ていたので、この階にはあまり縁がなかったのだけれども、Aボウルがこんなにも大勢の人に愛されていた事をそこではじめて知り、急に自分もかなしくなってきた。赤い螺旋階段を降りたらこれでお別れと思うと涙がこみあげてきた。Aボウルは単なる娯楽施設というだけでなく親子づれで休暇をすごす場所でもあったので、こどもの頃からなじみが深くビル全体に家族の思い出がしみこんでいた。レストランで食事をしたり卓球をしたり、ペーパードライバー状態だった父をからかうつもりでアウトランをやらせてみた事もあった。今はもう会えないおさななじみ達と先をきそって螺旋階段をかけあがったのもなつかしいし、小さい頃にはまだめづらしかったエレヴェーターで各階を行ったり来たりするだけでも十分遊びになった。てっぺんのピンとともにAボウルのもうひとつの象徴と言えるこの螺旋階段は、全面ガラス張りのうえ通気がわるく、夏休みの真っ昼間などは密封された湿気の中できびしい陽射しにさらされるため、ちょっと上り下りするだけでも汗ばむほどの蒸し暑さだった。 そんな事を思い出しながら、カウンターでくばっていた銘入り鉛筆を手に、最後の螺旋階段をくだりAボウルを去った。翌日の上野動物園でのデートは日にちをずらしたために都民の日で無料になったが、同時に仏滅ともかさなり、それがたたってか、その子とはながくはつづかなかった。(24.10.12)(26.5.25改訂) あざやかな塔のてっぺんをあおぎ見つつはやる気持をおさえて小走りの道 裏路地から ランドマークである(下二枚は衣笠山から) かつててっぺんにそびえていたピン 右はスクリーンに松坂の投球映像がうつるバーチャルバッティングマシン 一階にあったミスタードーナッツも閉店。店主(?)さんが大勢のスタッフの前で最後の挨拶をしていた。 なつかしの赤い螺旋階段 惜別の寄書 さようなら! ■ラインナップ■ ボウリングのフロアにはワンダーモモがポツネンととり残されていた。バッティングフロアには燃えプロみたいにキャラが等身大のワースタのほか、IPMギャラクシアンがしぶとく生残っていた。 ゲームコーナーには'85年頃からよく行くようになったので、その頃隆盛だったセガの大型筐体、ハングオンやスペースハリアー、ドリフトアウトなどがやはり印象深い。ガントレットの四人台もあったが、これはのちにTMNTで再利用されていた。他に目立った大型筐体はスーパーパンチアウトと忍者ハヤテ。テーブル台ではハドソンのキャラバンで一躍脚光を浴びたスターフォース。ちょうどテーカンがテクモにかわった頃で、アルゴスの戦士のパンフレットをカウンターでくばっていたりもした。こういったノヴェルティをもらったのが初めてだったので、うれしくって今でもとっておいてある。この頃は割と繁盛していたのだが、'87〜'88年頃から次第にさびれてきた気がする。盛りのすぎた沙羅曼蛇の、一台二十万と言われた純正筐体が店の奧の方に置いてあったのが余計にあわれをさそった。筐体と言えばここでしか見た事のない豪華なテーブル台にエキサイティングアワーが入っていたのを見て、百円にもかかわらず思わずやってしまった。他、1942・レバーが逆の純正ニューラリーX・バンクパニック・出世大相撲などなど。ちいさい頃に行った時にはディグダグやドンキーコング3があったのをおぼえている。また、ナムコのコスモスワットがあった。さすがレジャー施設! 紅白の横断幕がはづかしいDDRコーナー。2ndの頃は順番待ちするほど人気があった 店名は「ファンタジープラザ」というようだ |
おもちゃの王様・ほか |
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これも相当ふるいおもちゃ屋さん。「ちゃ王」とつめて呼んでいた。はじめ、二階の模型コーナーの一角で、TVベーダーや初代のカセットビジョンなどのホビー機を、十分二十円のような時間制限でならべてあった。ぴゅう太はただでさわらせてくれていた気がする。その後、テーブル台やアップライトもおくようになり、チャンピオンベースボールやキング&バルーン・クレージーコング2などが入荷。この頃すでに行列ができるほどこどもが群がっていたので、ファミコンのようないいハード(と、性能をいかしたいいゲーム)があらわれれば、いつでも爆発的なヒットを起こす膨張状態にあったのだと思う。その後は源平・グラディウス・のぼらんかなど。
その正面はあかのれん。今は甘味処。元々はおもちゃの王様とおなじくおもちゃ屋さんであったが、のちにアーケード台だけをおくようになり間もなく閉店した。19XXをやっていると、その脇でデモ中にずーっと「ロボ、行きなさい!」としゃべり続けているときメモパズル玉が印象ふかい。百円二プレイ。 もうひとつ、大通りに面したところにもおもちゃ屋さんがあって、ちょうどゲームボーイの正面になる。アップライトを二台設置していて、ライフフォースやフラワーを見た。 衣笠十字路の地下道を佐野郵便局にむかって出た正面。駄菓子屋があった。三台のアップライトがあり、おぼえているのはロボレス・イーアルカンフー・忍者くん阿修羅の章・スプライトのROMがこわれていてキャラクターが出ないひげ丸。(24.10.26) ■iriさんのおもちゃの王様■ 掲示板でのお話を引用させてもらいました ファミコン時代によくいきました。 ドラクエ3、Wiiを買いに行ったことがありますが、品薄のものは予約しないと、まず買うことができない店でした。 そういえばサービス券みたいなものがありましたね。 |
ゲーム・プラザ |
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当時国鉄の衣笠駅から向って右方面、旧パチンコ一兆のとなり。いつ頃からあったのか、いつなくなったのかわからない。いつの間にかあって、いつの間にかなくなっていた。場所的に目立たない上、衣笠ではめづらしい百円のお店だったのであまり繁盛してはいないように見えた。店内は清潔で明るく、スペースも台数もそれなりにあって、ちょっとあこがれる雰囲気ではあった。
'85年くらいに久里浜のかえりに友達と偶然見つけ、のぞいてみたのがはじめて。その時、店主とおぼしき中年男性に話しかけられ、「これで二十万点出したら、好きなゲームをタダでやらせてやる」とイーアルカンフーを指さしてさそってきたので、あっさり及第して見せたところ、おそらくからかうつもりだったのだろう、少しおどろきつつも約束どおり忍者くんに数クレジット入れてくれた。すでに夕暮時で帰宅がおそくなりそうだったので渋々途中で切り上げたのだが、店を出る際そのオジサンに「次はツインビーをやらせてね!」とうれしさのあまりお礼もわすれて話しかけたところ、「人に何かしてもらったらありがとうを言え」と注意されたのが今でも心にのこっている。その後も時々のぞきに行ったが、テーブル台に大学ノートをひろげて、たしかエグゼドエグゼスのインストカードを模写していたら、うまいとほめてくれたのもちょっとうれしかったなあ。きっと迷惑だったはずなのにやさしいオジサンだった。 ほかにはリターンオフインベーダーや、生涯二度目のメタルソルジャーアイザックUを見た。しづかなお店だったのでデモ曲を録音しようとも考えたのだが、それを上回るヴォリュームの小ささのために断念した。ニンジャウォーリアーズのような大型筐体も入荷した。(24.10.23) |
横ビル |
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京急横須賀中央駅から徒歩五分。旅行会社の所有するビルで、テナントは映画館やレンタルビデオなど入替り立替り。ゲームセンターはビルのてっぺん、六階だったかしら、にあった。ひろい部屋とせまい部屋にわかれていて、台数は四十前後。入口の脇に事務机がおいてあり、存在感のない店番のじいさんがすわっていた。
人影はまれで、グレートソードマンとハイパースポーツの音声合成、それとペンゴのタマゴがわれる音が一日中きこえてくる、とってものどかな空間。もちろん無人のアトラクション音である。少林寺への道があった時はそれだけでけたたましかった。(11.11.22)(24.10.14改訂) このビルの一階の奥まったところにも数台おいてあったが、やはりほとんど人がよりつかず、セガのスターウォーズのテーマがいつもむなしく流れていた。どういうわけかファンタジーゾーンの海外版があり、ショップと雪ダルマの面の曲を良好な状態で録音させてもらった。ただ、この一階フロアは旅行会社の窓口が目と鼻の先にあり、お姉さんとお客さんが話をしているすぐ横でゲームをやるのはなかなかはづかしかった。スターウォーズとアウトランが壁になってくれていたのが救いではあったが…。 現在は二階にゼロワンというお店が入っている。ここにはずーっとギャラガのテーブル台が置いてあったのだが、今はもうないようだ。(24.10.14) ♪'89くらいの店内音を再現してみました→横ビルの音 ■ラインナップ■ 少林寺への道・モンスターランド・ムーンウォーカー・メルヘンメイズ・マスコット人形がボールを打つスイッチになっているセガのテニス・グレートソードマン・ハイパースポーツ・スターフォース・ペンゴなどなど。 ■iriさんの横ビル■ 掲示板でのお話を引用させてもらいました '82ぐらいに始めて行って、スクランブルを遊んだのを覚えています。 '85にはスターフォース、'87はアルゴスの戦士、'88は獣王記がありました。 '89の5,6月だったと思いますが、このビルの3階か4階ぐらいに、ゲームソフト屋(+レンタルビデオ)が開店しました。 時々、PCエンジンのゲームが\1980で売られていたので重宝しましたが、'93ぐらいには閉店していました。 ゲーム屋には友人に教えてもらい行ったのですが、ファミコン3Dアダプタを開店セールで、980円で手に入れました。(あんまり3Dには見えませんでしたが) 小学生の頃、「ウルトラマン」、「まことちゃん」、「ガンダム」映画を見に行きましたが、映画の時間待ちで1Fにてゲーム(侍、トランキライザーガン、カーニバルなど)を見るのが楽しみでした。 今でもここの前を通ると、誰も遊んでいない「アフターバーナー」があるのを思い出します。 |
平楽 |
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最近発展著しい京急横須賀中央駅下車徒歩五分。老夫婦がお店番。ビルの二階に入っていて、正式な名前は看板をみるかぎり「スペースインベーダー」だが、同級生はみな一階のパチンコ屋の名前で「平楽」とよんでいた。いかんせん自宅からとおいので、日曜日くらいにしか行けなかったのだが、 店内に足をふみいれたときの幸福感は随一だった。いなかゲームセンターの雄・並木には到底手の出せない沙羅曼蛇のような豪華ゲームが発売直後に入荷したり、グラディウスで何周もするようなスーパープレイヤーにお目にかかれたり(しかもミスすると残機にかかわらず席を立つような)と、やっぱり中央はちがうなあと感嘆させられる、ゲームプレイヤーとしてかなりの衝撃をうけたお店。
ナムコと関係があったようで新作は真っ先に入荷した。入荷すると、新酒のクズ玉のように入口のドアにポスターがはられるのですぐにわかる。ラジアメで新作ゲームのコマーシャルが始まると、今日は入っているかなあ、と狭いエレヴェータの中で胸がたかなり、二階につくまでのわづかな時間が待ち遠しく感じられた。ながいこと噂だけが先行していたイシターや源平のポスターを見た時は興奮したなあ。 '88年、ちかくにジョイランド(現エル・ブランコ)というまばゆいばかりの照明が店内をつつむ、今あるアミューゼメントパークのはしりのような店が出現。ダライアスやバブルボブルなどの成功で高い人気をほこっていたタイトー系という事もあり、客をねこそぎとられて閉店においこまれてしまった。西友でメガネをつくってもらっている間にベラボーマンをやりにいったのが結局最後になったが、かつて大勢の常連客であふれかえっていた店内は誇張ではなくガラ空きの状態で、いつもカウンターにすわって悠々とTVを見ていた老夫婦が手持ちぶさたにモニタをふいている姿が実にさびしく思えた。この平楽の閉店が、とりもなおさずナムコ時代、さらにはくらくて陰気なゲームセンターの時代の終焉をつげるものであったように思う。よく朝からイシターをやりにいっていたので、箱形のポップをもらったりもした。(10.10.30)(24.10.22改訂) 母が補導員のまねごとをして近隣のゲームセンターを見まわりしていたのだが、一度ここではちあわせした事がある。当然ながら僕がゲームセンターに出入りしている事にあまりよい顔はしていなかったが、ここはよいお店だから安心だと言っていた。閉店後、知らずに店先に行くと不良がまちかまえており金をゆすられる、という噂が立ったが真偽のほどはわからない。ミスをするとコンパネを乱打し、あまつさえ周りの客に当りちらす要ロボトミーな常連がいたが、あそこまでのは空前絶後、後にも先にも見た事がない。VS筐体が二個ならんであったが、どうしてファミコンのゲームをお金出してやるのだろう、といつも不思議だった。(11.11.22)(24.10.12改訂) 現在は一階がローソンで二階は居酒屋はなの舞。壁にHEIRAKUと書いてあるので平楽のビルなのだろう。暗室のようにしめきったくらい店内だったが、ひざしが漏れる台には段ボールでおおいがしてあった。(24.10.26) ■ラインナップ■ スカイキッド・DX・源平討魔伝・フォンジャックの付いた(マイクロとミニの二系統だったと思う)ドラゴンスピリット・ローリングサンダー・サンダーセプター・トイポップ・ワンダーモモ・クエスター・ドルアーガ・イシター・アサルト・ベラボーマン・ホッピングマッピー・クエスター・モトス…とあげていくとわかる通り、ナムコのゲームは発売と同時にすべて入荷していた。ワールドコートぐらいまでは見た覚えがある。十円でMrプロレス(エレメカ)なんかもあった。ほかのメーカーは、グラディウス・ワードナの森・いっき(五十円で同時プレイ可)・やんちゃ丸・ロードランナー・エンデューロレーサーなどなど。 |
ゲームセンター・ワールド |
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横須賀中央駅から三分ほど。当時の平坂書房の先、今のらーめん天宝の場所にあったお店。オール百円。店内の作りが通りから一段ひくくなっているので、壁際のテーブル台にすわっているとグリーン車の一階席のように往来する足が見える。アップライトのストリートファイターをよくやりに行った。ほかにもアサルトやホッピングマッピー・ラビリンスランナー・オペレーションウルフ・麻雀掟・女の子が野球のユニフォームを着ていた麻雀・ブロックアウト・ヘビーウェイトチャンプ・ストリートファイターU、そしてここでしか見る事のなかったアイレムのバトルバードがあった。鼻ヒゲの店長さんと綺麗なトイレが印象深い。(24.10.13)
■iriさんのワールド■ 掲示板でのお話を引用させてもらいました 寿徳庵の向いです。 '85ぐらいにハングオン、スペースハリアーをみて衝撃を受けました。 ここも最新のゲームがよく入る店でした。 |
クライマックス |
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横須賀中央の三笠通りのド真ん中。オール百円。昔あったオモチャ屋のななめ向かいだったように思う。店先に置いてあったタイトーのウルトラクイズが目印で、奥行きが広く、どんづまりはステージみたいな段差になっていたから前身はクラブか何かだったのかもしれない。そのどんづまりにはチャンピオンベースボールがいつまでも置いてあった。
中学の遠足のかえりにのぞいたら入荷したばかりのダライアスに人だかりができていたのと、めづらしいテーブル台の六個ボタンのストリートファイター(海外版)がおいてあったのが印象ふかい。朝早くにファンタジーゾーンを録音しに行ったがうるさすぎて見事に失敗した。パックマニアが置いてあるのを見てなつかしいと思ったので、'90過ぎくらいまでは続いていたと思う。(24.10.12) 閉店する数年前まではタイトー直営店となってきらびやかにリニューアル。広報誌のTiltを配布していた。(26.05.27) ■iriさんのゲームボーイ■ 掲示板でのお話を引用させてもらいました 三笠通りの真ん中にありました。 マリオが悪役のドンキーコングJrを見て、遊びたかったのですが文無しで遊べなかったのを覚えています。 このゲームは「たんぽぽ」、「うるちだ」にも後に入ってきました。 ここは全て100円でしたが、最新のゲームが早く入る店でした。 あまりここでは遊びませんでしたが、「ロストワールド」は遊ばずにはいられませんでした。 |
スペースウォー |
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どぶ板通りの真ん中あたり。昔あった模型屋(別室でNゲージをはしらせたいた)のそばだったように思う。店内はそれほどひろくはなく、コンチネンタルサーカスやタイムギャルなどのアップライト筐体もそれなりにあった。奥の方にメトロクロスが割とながい事おいてあったので、高校の帰りなどにちょくちょくやりに行っていた。ほかエリア88・麻雀トリプルウォーズなどなど(24.10.12) |
エル・ブランコ(旧ジョイランド) |
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横ビルから十字路をはさんだ斜め向いのパチンコ屋の二階。エレヴェーターがあるにはあったが、ゲームセンターのお客はつかえず階段でのぼった。'88年に堂々開店し、これまで横須賀や衣笠にあった暗くてせまいゲームセンターのイメージを一掃するような、きらびやかでゆったりとした内装だった。タイトー系列の店だったらしく発売間もないニンジャウォリーアズがシンボルのように店内中央にすえおかれていた。しばらくは半額サーヴィスで稼働していたと思う(という事は二百円だったのだろうか。このあたり記憶が曖昧)。従来のゲームファン以外の客層もとりこみ、店内は盛況。僕もその新鮮な空気と、何やらゴージャスな雰囲気にひかれて、それまで一番のお気に入りであった平楽の事をもわすれついついかよってしまった。それが平楽閉店の一因だったとかんがえると、今もうしろめたさを感じる。
サイバリオンやポンピングワールド・ロストワールド・ハテナの大冒険・バルダーダッシュ・ギャラガ'88・天地を喰らう・嗚呼栄光の甲子園・麻雀刺客、店のすみにはMr.DO!のような古いゲームもおいてあった。ヘッドホンジャックのついてる台もあったが、入っていたのがワールドスタジアムだったのであまり需要はなかったんじゃないだろうか。僕はうれしかったけれども。(24.10.13) のち、いつの間にかエル・ブランコと名前がかわり、より一般ウケする大型筐体やUFOキャッチャーがメインの品そろえになっていた。サンバdeアミーゴやDDR、それとマンボ・ア・ゴーゴーなどのリズムゲームばかりが印象にのこる。特にマンボはやってる内に目に見えて達していくのがたのしくて、それだけを目当てに一時期熱心にかよっていた。(24.10.16) 看板だけなら今('12)ものこっている |
本屋の奧 |
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大通りをはさんで、さいか屋のむかい側。今はリンガーハットになっている二軒つづいた本屋をぬけたところ。現在はカラオケボックスかスナック。店内はテトリスの青いブロックのような細長いL字型のつくり。目立たない場所にあったがお客さんはいつもそれなりに入っていた。二十台ほどしかないせまいスペースの割にナムコのゲームがそろっていたせいかもしれないし、店主とおぼしき温和な壮年男性の人柄のせいかもしれない。エクセリオン・魂闘羅・撃墜王・エグゼドエグゼス・フィールドコンバット・パックランド・ギャプラス・メトロクロス・源平討魔伝・アサルト・フェリオスなどの他にパックマンレディが置いてあったのがものめづらしかった。早朝に来てはここで平楽の開店を待つのが常だったが、ある日曜日の朝、「早い時間からやってる店がある」と友達をつれて行ってみると、いつもなら開いている時間にやっていない。友達に「閉まってるじゃん」などと言われながら事情がわからずにいたのだが、後になってその時、新風営法が施行されたのだと知った。(24.10.14) |
?? |
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場所がさだかでないのだが、横ビルのすぐ脇、今のFRIDAY'Sのところだったように思う。百円のお店だったので入るのはまれだったが、早朝に行くと誰も客がおらず快適な録音環境…と思いきやアルカノイドとワンダーボーイのやたら大きいデモ音がすこぶる邪魔だった。このおかげで今でもこのふたつはあまり好きでない。ファンタジーゾーンを録音している最中に気の良い掃除のおばちゃんに話かけられて苦笑いしたりもした。いつの間にかなくなっていた。(24.10.14)
■iriさんのこのお店■ 掲示板でのお話を引用させてもらいました (横ビルの)左は丸井の別館ですが、右にはゲームセンターがあったと思います。 ムーンクレスタで遊んだことがあるので最初に行ったのは'80〜'82ぐらいだと思います。 '84の年末にもあったのは覚えていますがいつ頃閉店したのかは、覚えていません。 |
エル・ドラド |
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黒川スポーツのななめ前。二階建ての割とおおきなお店。ダンス関係のイヴェントのポスターがあちこちにはってあった。そのせいか知らないが、さがし求めていたダンスマニアックス(しかも2nd!)が入荷。もう天にものぼる思いでかよいつづけた。そこで運良く二度目のマラソン完走をはたしたのだが、目をつけられたのかHARD設定にされてしまった。ストリートファイターのレインボーダッシュなんかが置いてあった。今はとりこわされて駐車場。(24.10.16)
右は入ってすぐのところにあったアームチャンプス2('92 ジャレコ)。これはクライマックスの入口にもあったなあ |
中華屋 |
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中で即席ラーメンを売っていたからそう呼んでいただけで、もちろんこんな名前ではない。小学生の頃、同級生が祖母をたづねて行くのに同伴した時におしえてもらった。場所は明浜小学校のそば。隣は和菓子屋さんだった。看板もなく青い引戸にも窓がないので、ここがゲームセンターだと知っていないと外からは絶対に気づかない。お店なのかタダの民家なのかもわからないと思う。店内はせまく十数台ほど。夢にまで見たドルアーガにここでようやくめぐり会えた。
はじめて来店した時、店主のオジサン、というにはまだ若いお兄さんが1プレイおごってくれた。後で同級生に聞いたら、はじめてのこどもにはよくプレゼントしているんだそうな。レジのカウンターの台を利用してサンマで麻雀をさしているのを見た事がある。お店の奥にはテーブル筐体とラーメンが山積にしてあった。'90年頃に行った頃にはまだやっていたが、その後しばらくして閉店。ダイクマができた時、周辺で交通誘導の仕事があったのだが、その時偶然そのお兄さんと出くわした。、すっかりオジサンになっていたお兄さんに十数年前におごってもらった時のお礼を言いたくて近づこうとしたものの、何やら警戒している様子だったので結局何も言えずにすれ違ってしまった。パックランドとチャイニーズヒーローが印象にのこる。 久里浜には京急の駅のそば、商店街から一本はづれた道に老夫婦の経営するポパイというお店があって、ここは小中学生が大勢つめかけ、いつもかなり繁盛していた。並木のようにアイスも売っていた。'90頃にはこの近辺にもう一店、さらに駅ビルのウイングにもゲームコーナーがあった。それと、残念ながら僕は入った事がないのだが、京急久里浜駅の真正面にお店があったのを'85頃に見かけた事がある。入口には黒いモンスターみたいなあのインベーダーのイラストがかかれていて、いかにもゲームンセンター!といった感じの店かまえだった。(24.10.23)(26.5.25改訂) 久里浜ウイングの屋上 同。ドルアーガのコインゲーム「すごろくアドベンチャー ドルアーガの塔」 同。左からジャイアント馬場がモデルのじゃんけんゲーム。ポケモンの消しゴムがあたるじゃんけんゲーム 右端はよくわからないが志村けんの顔がかいてある 旧「ポパイ」。レンガ模様の壁と階段になごりがある |
ゲームプラザ タケ |
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衣笠から林にぬける県道26号の中頃、武にもゲームセンターがあった。はじめてあそびに行ったのは'86頃だろうか。横須賀中央ですら平楽だけにしかないイシターの復活があり、なおかつ相当育成のすすんだカイがいたのにはおどろいた。また一週目か二週目かはわすれたが、戦いの挽歌をクリアしていた人がいたのにもおどろいた。横須賀側から見て武や林はものすごい田舎という印象で、実際山にはさまれた不便な場所なのだが、そんなところに品ぞろえも良く腕のいいプレイヤーもかかえた良質なお店がひっそりと存在していたのは発見であった。
'02年、ひさしぶりにたづねて行った時には、ひさしはほころび、店の周囲にはボロボロになったUFOキャッチャーなどがならべてあって、随分様子がかわった事にまたおどろかされた。しばらくして閉店。大楠高校の生徒のたまり場だったのではないかと思う。(26.5.25改訂) '02年に撮ったみせがまえ。これだけだときたなく見えるが店内は綺麗 この店なら対戦ゲームもさぞもりあがっていた事だろう 店内のはり紙「楽しくプレイするための注意事項」 1.プレイ順は、コンパネの所定の位置にコインをおいた順に従うものとする。 2.上記に従って、プレイを待っている人がいるときは絶対に再プレイをしない。 3.プレイ時以外は、なるべく椅子に座らない。座っている時声をかけられたら速やかに席を譲る。 4.大声を出したり横柄な態度をとらない。 5.係員の指示に従う。 6.上記項目を守れない方はプレイ中であっても退店いただきます。 ゲームプラザ タケ |